Monday, 17 August, 2026г.
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西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵

西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵У вашего броузера проблема в совместимости с HTML5
67年前のこと。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、ソロン(Sorong)、イドレ(Idore)へ転進させることを決めた。"転進"とは当時の名目。実際は、十分な糧食も持たない敗走だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド人などもいた。 制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホーランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミそしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍は、在マノクワリの兵力の分散を図った。いわゆる口減らし。 第2軍参謀長の藤塚止戈夫(ふじつかしかお)中将発案とされる、このイドレ転進作戦は、結果的に"飢餓地獄"への無意味・無慈悲な敗退行軍となった。一週間で到達できるとされた距離。しかし、実際には2~5ヶ月を要した。木の根を齧り、泥水を飲んだ将兵。容赦なく襲う悪性マラリアや熱帯性の下痢。戦わずして、1万数千もの将兵が草生す屍と化した。 2011年2~3月、西パプア州ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)政府や中央政府要人、そして民間テレビ局『メトロTV(Metro TV)』の協力を得て、マノクワリ・イドレの中間地点であるモミ・ワーレン(Momi Waren)地区周辺、そしてビントゥニ湾(ベラウ湾)の東部一帯を巡ってきた。 そこで目撃したものは、67年間もの長きにわたって"戦死"した瞬間の姿のまま、放置され続けてきた将兵らの遺骨だった。目視確認できたものだけでも計16体。村人らの目撃証言を元に概算すると、その数およそ200~300体。村人さえ立ち入らぬ、密林、重湿地帯、洞窟などに瞑る約2万の将兵(西パプア州エリアでの概算)。 動画は、ビントゥニ湾県クリ地区(Distrik Kuri)サルベ村(Desa Sarbe)から徒歩およそ1時間の距離にある丘陵地帯の中腹にある洞窟内で確認した4体の旧日本軍将兵の遺骸を映し出す。
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